素直になろうぶろぐ

気持ちを素直に正直に、思いつくまま自由に書いちゃう自分だけ楽しいブログです(笑) ジャンルもごちゃまぜ

誰かと生きるためにひとりぼっちを大事にする



ほんの少しずつでもいいから、毎日違う変化が欲しい、そんな私です。


同じ生活空間にいる人とは必然的に行動を共にしてしまいがちです。共有、それもいいのですが…。
お互い全然別の所で体験してきたことを持ち寄ったら、もっといろんなことを知れるのではないかと思ったりします。




最高の快楽が新しい発見だとすると、私の1番の敵は退屈で、不思議なことにどちらも大概誰かといる時にやってきます。


ひとりの時は自分が今もっているものの中で愉しむことになります。
それはもう自分の中で『たのしいもの』だとわかっているから全くの退屈にはなりません。

でも、慣れてしまうと飽きがくる。
実際は突き詰めることに終わりはないのですが、緩やか過ぎる刺激の中で更に新たな発見を生むまでやり込む事はなかなか大変です。

そしてひとりでは、新たな分野に足を踏み出す事も結構勇気が必要だったり、まず面白さを知らないので手を出そうともしなかったりするわけですね。



誰かと出会うことで、簡単に新しい発見が出来ます。
自分ひとりでは思いもよらなかったり、興味もなかった分野でも聞いているうちにとても魅力的に思えてくる。

(それはその人自身の魅力に反応しているのか、単に刺激に対する興奮なのか、…ちょっと悩むところです。
後者の場合、私はとても性悪な人間だなぁw)

とりあえず目新しい事は割と何でもたのしい。人から情報をもらえることで、全く知識ゼロから始めるより挑戦もしやすいし上達もしやすくなります。

でも、誰かといることは必ずどこか不自由もあって、丸っきり自分だけに付きっ切りにはなれません。
そうじゃないと漏れなく自分勝手、自己チューの称号を得てしまうからです(笑)

タイミング見計らったり空気読んだり、妨害やフォローに振り回されたり、etc…
どうにも自分の意思通りに動けない状況、持て余す時間、それが『退屈』につながると思うのです。


人と関わることは、気持ちの振り幅が上にも下にも大きくなるということですね。


それを良い事ととるか悪い事ととるか、
それはその人次第です。

私は良い事だと思います。
やっぱりひとりでは見れない世界も見てみたいと思いますから。


だけど、

ここで冒頭に戻るのですが、

ずっと誰かと一緒に生活して行動も共にしていると、お互い持ち寄る情報は少なく刺激も不足してしまう。
だんだんと持て余す時間ばかりが増えて退屈に侵されていく。

誰かといることの利点が少ないままならば、ひとりの方がいいと思ってしまうのです。
こういうこと考えていると、自分は本当に誰かと生きるのに向いてないなぁと落ち込んだりしていたのですが(((;°▽°))w


そうなる前に、ひとりの時間も適度に大切にすべきだと思いました。
誰にも邪魔されず誰にも気を遣わず、自分の持っているものを見直して、たまに思い出したように育ててみる。

または、自分のことを誰も知らない環境で、新しい出会いや発見を開拓してみる。

成果を持ち寄ってお喋りしたら、またお互いに新しい知識を得られる!
なんて、そんな大層な言い方しなくても、話のネタくらいにはなりますよね(笑)
でもそれくらいでいいと思うんです。十分素晴らしい刺激です。



ひとりの空間と誰かとの空間を、
うまく行ったり来たりすること。

それが誰かと生きる上でも重要なことかもしれないと思いました。



そんなにうまくはいかないかもしれませんけどねw



( ー̀εー́ )w