素直になろうぶろぐ

気持ちを素直に正直に、思いつくまま自由に書いちゃう自分だけ楽しいブログです(笑) ジャンルもごちゃまぜ

情熱恋愛③前編〜冷め時の見極めを模索する〜



以前の関連記事から間が開きましたが、思うところがあったので
また大好きな本、女は快楽、男は我慢―大岡玲の恋愛論から、感想と私なりの解釈を混ぜ混ぜしてひとつ書いてみます。


関連記事はこちら。






出来ることなら、好きな人とはずっと情熱的に愛し合っていられる関係でいたいですよね。

ホッとする安心感や落ち着いた安定感もいいものですが、それだけでなく、
やはり付き合い当初のようなドキドキやトキメキも女は大好物だと思います(笑)


関係が進むにつれて形は変われど、その時々に見合った愛情の表現をふたりで探していけたらいいんだけどなぁ、なんて私は思います。




本書の中で、情熱を会社の経営になぞられて(笑)説明してくれる箇所があります。
面白かったので、もうがっつり引用させていただきます。ゴメンナサイ。


    A男とB子が、ほぼ同じ情熱で愛し合っているとしよう。つまりこれは、同量の情熱資本を使って愛という製品を作り、それぞれ相手の会社に製品を提供して消費しあっている、ということになる。

わかりやすい構図ではありませんか?
うまくいっている時の恋愛は、つまり愛という製品の消費と供給のバランスがとれている状態です。

ではどちらかが供給過剰になったら?
相手からの供給が減ってしまったら?

自分の投下に見合った収益が上げられないと、資本となる情熱も目減りしていきます。

    こうなってしまったら、取りうる選択肢は三つしかない。ひとつは、経営規模を縮小してリストラを断行すること。ふたつめは、取引先そのものにサッサと見切りをつけ、あたらしい事業展開を計ること。そして三つ目は、従来通りの事業規模を維持するために、借入金を導入することである。

経営規模の縮小とは、
その他の要素や生活の安定などの利点を鑑みてそちらに力を注ぐ事にし、情熱的な恋愛、という部署は潰すか小さくしちゃいましょう。ということですね。

取引先に見切りとはそのまんま、その恋人とはさよなら(笑)
そんなにスパッと出来ないですけどねぇ。



では借入金、借金とはいったい誰から借りるのか?
関係ない第3者から恋人に対する情熱なんて借りれないから…
   つまり借金とは、相手からの入荷分が減った分を努力で穴埋めをし、いわば利益の粉飾決算をすることなのである。

言いえて妙、と思ったのは私だけでしょうか?(笑)


実際の愛情なんて数値でわからないから、自分ばかりが尽くしている気がしても最初は、
きっと気のせいだ〜、相手も私の為に〇〇してくれる、私は愛されてる〜、と考えようとします。

そのうち自分ばかりの供給過多が確定しても、
尽くしていればいつか相手もわかってくれる変わってくれる、再び2人の関係が改善して幸せになれるはず…とそれでも誤魔化し続けてしまう。

    だが、実際の社会と同様、世の中そんなに甘くはない。一度落ちた業績が、そんなにやすやすと回復するはずもない。


耳が痛いこと言うなあ(笑)


本書でも書いてあるのですが、
更に恋愛の場においては自分が粉飾決算
、つまり我慢して尽くせば尽くすほど、業績悪化企業である相手側はどんどん甘えてもたれかかってくる負のスパイラルが起こりうる。
もちろん全てがそうとは限りませんけどね。


やっぱりもうダメかも…
こんなの自分が損してるばっかりかも…
何ヶ月も、何年も前からそう思っているはずなのに、なぜ別れられないのか。
そんな経験はありませんか?


色々ダメなところがあっても、やっぱりそれを許せるくらい大好きなところがあるから。
そう断定出来るのならいいんです。



このまま別れたら
今まで自分が投下した情熱資本、伴う労力、お金、時間、
その回収が不能になってしまう無念が大きいから。

という理由ではないと断言出来るのならば、いいんです。

これまで自覚がなくともこの言葉を目にして( ゚д゚)ハッ!とした方は、ちょっと自分を見つめ直すのもいいかもしれませんね。
その状態で続けても負債はどんどんかさむばかりかもしれませんよ。






と、ここまでが本の内容を得て感じたことでした。





そこから更に思うこと。
上で書いたように愛情の大きさを数値化することは出来ません。

自分が愛した分の愛情が返ってこないと嘆いて冷めていく。

でも、本当に相手はあなたに見合った情熱を注いでいなかったのでしょうか?

相手から送られてきた愛という製品にあなたが気付かず、どこかで腐らせてしまっていた、ということはありえないでしょうか?



長くなってしまったので続きは次回の記事に分けますね~。



c⌒っ゚д゚)っφ