人間は高等な生き物なんかじゃないといつも認識しておけ
怖いことは興味をひくことがあります。
ホラーな話じゃなくて、過去の凄惨な事件だったり歴史だったりの話。
理解しなくちゃ、という気持ちもあります。
知ることで学ぶことも確かにあるから。
他人事で済ませない、いつ自分や自分の身近な人に降りかかる災いとも知れない世の中です。
巻き込まれないように注意したり、誰かの過ちを繰り返さないように意識したりできる。
......できるはずではないのか?
その割に毎日凄惨な事件は後を絶たないのです。
あれれ。おかしいな。
上記のような綺麗事は抑止にならないのかもしれない。
私は毎日新しく、それでいて繰り返し起こるそんなニュースを見るとテンションがだだ下がりになってしまいます。
だから私はもう知りたくない。
お腹いっぱい。
時事に弱くなったけれど、別に構わない。
被害者の無念を知って欲しい、風化させないで欲しい、という訴えには応えていないことになり申し訳ないけれど、全く無関心だからという訳ではありません。
なんでも、知らないよりは知っている方が良いと思っていました。
聞いて、苦しい話でも悲しい話でも。
結果、いつの間にか知らなかった感情も知ることになりました。
私自身は、幸運にも命の危険を感じるような理不尽に晒されたことはありません。
だから誰かの体験を聞いて、想像することでしか得られなかった感情です。
実際の被害者の恐怖には到底及ばないけれど。
不平等な力に、理不尽に抑圧される、胸を抉られるような気持ちです。
犯罪を憎み、加害者を憎み、人間を憎む気持ちです。
痛みや恐怖や不安や悲しみや怒り、全部混ぜ込んでぐちゃぐちゃドロドロにして高温で炙り続けるようなそんな気持ちです。
自分が被害に遭ったら生き延びたとしても、そんな感情に侵されそうになる精神と毎日せめぎあいながら一生過ごすのだろうなと想像します。
身近な誰かが被害にあったのならば、私はそんな感情に身を任せて人外に成り下がったとしても、復讐を誓うのかもしれないと想像します。
人外と対峙するのに人外になって何が悪い。
そんな風に思わせる、とても汚くて恐ろしい感情を私は誰かの悲しみの上に知りました。
知らない方が幸せなものです。
でも今の時代には、知るべき、覚えるべき、感じるべき気持ちだと思いました。
その気持ちが、出来れば被害者にならないための注意力だけでなく、
決して自分は取り返しのつかない加害者になるものか
という意識を強固なものにしているからです。
ただ可哀想とか悲しいとか、そういうんじゃ意味がないと思うのです。
にくめ、殺意をおぼえるほどに。
そんな自分の狂気を認識して、大事にしまっておけ。
どうかこの感情を爆発させる日が来ませんようにと、自分で抑止する。
個人個人がお腹に飼っている化け物を認識して制御しないといけない時代なんじゃないかなと思います。
キレイな感情しか知らないで力を手に入れるのは危ない。
時に物凄く残酷にもなれる、子供と一緒の頭のまま、力を手にしたらいけない。
想像力をもっと働かせようよ。
と、言いたいです。
私は自分の中の化け物に気付いた日から、怖い情報を新たに入手することを避けるようになりました。
もう存在は認識したから、敢えて宥めるのに精神を消耗するのはやめようと思ったのです。
悲しいけれど、毎日悲しいことがあり過ぎて個々の事件はどうしても上書きされてしまう現状です。
でも認識している人は知っています。
毎日どこかで誰かが、傷付けられて悲しんでいること、自分の中の化け物と戦って苦しんでいること。
そんな人たちと、私は寄り添った気持ちでいたい。拒絶したくない。
私がそう思っていることを誰も知らなくても。
当事者の経験が無いから薄っぺらい考えかもしれないけれど、そういう気持ちからなかなか発信できないけれど、
私はあなたの敵じゃないよって言いたい。
隣にいる目線でいたい。
早く少しでも安らかな気持ちを取り戻せるように、ひっそりと願います。
化け物は怖いけど、痛みを知っているから優しいところも持っているんです、きっと。
避けているとはいえ見てしまう時は見てしまう。今回もそうでした。
そういう時はきっと確認に必要な時なんだなと思います。
ぐちゃぐちゃドロドロの出し方と怖さを思い出す為に。
出来ることならお腹におさめたまま、いい距離感のまま一生を終えられたら運がいいなとは思います。
だけど、
必要に迫られた時は...
(-_- )