素直になろうぶろぐ

気持ちを素直に正直に、思いつくまま自由に書いちゃう自分だけ楽しいブログです(笑) ジャンルもごちゃまぜ

痛みを学ぶということ










小中学生にかけての3年ほど、空手の道場に通っていたことがありました。


ハマっていた少年漫画に憧れて、
親に見せられて好きになったブルース・リーに憧れて(笑)
なんか強くなりたい衝動が強い時期でした。
強いってカッコイイじゃん!ww




しかしまぁはじめこそ何でも楽しく吸収できたけれど、なかなか思ったようには強くなれないものです。
ていうかね、階級が上がっても実際に強くなった気がしないわけですよ。


そして、師範は指導としてですが、生徒を怒鳴ったり叩いたりする。
強い黒帯の先輩男子たちもそれに倣う。
そして学校で見るその子達はいじめっこグループに属していたりする。(実際に手を出したりはしていないと思うのですが、強いという威圧感で周りの男子をビビらせて天狗になっている、という感じ?w)


なんだかそれが怖いやら理想と違うやら、いつの間にかただただ行きたくなくなって、結局のところ自分の心の弱さだったと思うのですが、黒帯になる手前の茶帯で辞めてしまいました。
道場にもよるんでしょうけどね...。




武道は己の精神を鍛える為のもの、喧嘩の為じゃないんだ、というような話が師範からよくあったと思われます。

元々力を手に入れて悪者やっつけたいノリで始めた私の動機は不純だったというわけです。
その動機も現実を知って砕けてしまうのですけど。


私が空手の道場行って学んだことは、
自分は(人間は)強くないという自覚。
相手の力量をはかる力や危機察知能力。
現代社会においては、パワー以外の力が大いに作用しているということ。
などでしょうか。


空手を習っていても、実戦では使えないなっていうのがよくわかった。
よく妄想しましたが、突然目の前にナイフ持った犯罪者が現れたとして、落ち着いて立ち向かえるかと言われたら絶対に無理。
本当に精神的にも達人の域になった人でも限り、死ぬかもしれない恐怖と対峙したらビビって力を出せないと思う。


武道は己を鍛え礼儀を重んじ...みたいな、もっと神聖で誇り高いモノを教えてくれたと思うんですけど、私はなんだか現実的に自分が感じた事しか覚えてない(笑)




パワーという力を鍛えても、結局現代においてそこまで意味は無いのかもしれないと思いました。
格闘技が職業の方はともかく、エンターテインメント以外の格闘なんて今や犯罪ですものね。



大人と子供なら大人が強い。
男と女なら男が強い。
空手やってない子よりはやってた子の方がちょっとは強いかもしれない。

けれど、丸腰では弱くても武器があれば逆転出来ちゃう。

空手2段のガチムチより包丁持った華奢なメンヘラの方が危険な感じです。

そして後者の方が恐ろしいのは攻撃力が高い装備だからだけでなく、まじで刺してきそうなところ。

武道を嗜んだ人は殴られる痛みも知っているから、相手にその痛みを負わせる恐怖を感じます。
どれくらいの攻撃が致命傷になるのか、なんとなくでも考えていると思います。

その部分を学べたのは、空手やって良かったなぁと思います。嫌だったけど(笑)







少子化の時代、兄弟がいなくて同年代の親戚もいなくて、幼いうちに叩きあいの喧嘩もしたことがない子ってきっと多い。

体罰が問題視される中、親や周りの大人や教師から手をあげられたことのない子も多いかもしれない。
決して体罰賛成推奨するつもりではないけれど、痛みを知ることって大切ですよね。


大きくなって力だけは手にしているのに使い方がわからない。

それが1番怖いです。

試しに使ってみた時が、もう人ひとり殺せるくらいのパワーではどうしようもないんですよね。


早々の幼いうちに兄弟と離して育った犬は、噛む犬になってしまうといいます。
兄弟と喧嘩することで噛む力の加減を学ぶんですって。

人も同じだよなぁ。




痛みを知る機会を喧嘩以外で得られるというのが、武道系習い事の良いところなのではないかなぁと思いました。



(っ・д・)≡⊃)3゚)∵