素直になろうぶろぐ

気持ちを素直に正直に、思いつくまま自由に書いちゃう自分だけ楽しいブログです(笑) ジャンルもごちゃまぜ

情熱恋愛②〜男性社会について考える〜


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今回はこちらの記事の続きです。
本の感想から、それに影響された私個人の妄想(笑)を綴っています。






女は快楽、男は我慢―大岡玲の恋愛論の第4章から、「父文明」なる言葉が出てきます。


という概念が人間と他の動物を隔てた要素?


生物にとって異性関係の基本は子孫を残すこと。
有性生殖を行う生物の場合、子を生み出すのはメスであり女性です。
   環境がきびしくなるとオスがメスに変身してしまい、単性生殖でメスを増やして耐え、状況がよくなるとふたたびオスが現れてくるという生物もいる。オスというのは、多様性を得るための道具であり、どうしても必要というものではないのだ、という哀しみの真実。

なんかすごいことが書かれています。
しかしこれは広い視野での生物全てを含めた自然界の基本情報みたいなもので、人間の男性をおとしめている意味ではありません。



遺伝子を分け与えたという単なる血縁関係の父親ではなく、子や配偶者に対して長い間関わりをもち保護や教育を行うは人間以外にいないそうです。

ゴリラやテナガザルにはその原型が見られるそうですが、人間の祖先のオスはさらに一歩踏み込んだ。
自分の配偶者を他のオスに奪われないように威嚇争いをしていたところを、家族を作ることでおさめたのです。

まず父親と息子が連帯し、同じ家族内のメスを取り合わないようにした。
父親と息子が連帯するために、息子に保護や教育を与えて認められる、そして妻であるメスに長く夫として認められる、
そんなを演じなければ家族は成り立たなかったのですね。

自然と外の相手に配偶者を求めるようになり、そこで新たな家族が出来る。
複数の家族が結び合って親族が形成され、社会が出来る。
他のグループのオスとも争わずして互いのメスを守れるように連帯が広がります。
コミュニティが広がれば、他者との同調、思いやりや想像力なども発達していく。
きっかけが出来ちゃえばもうあとはどんどん広がっていくばかり。

こう考えるととは人間が人間になるきっかけとなった発明だったと言えませんか



なんか、人間は進化の動物というか、抑圧や不自由をどうにかこじ開けようとするというか…。

なんとなく私はグレンラガンを思い出してしまいましたw

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あぁ…またグレンラガン観たいよ…。
まぁ争いたくないが為に穏便な道を探したような気がするところは、ちょっとグレンラガンと違うけど(笑)




現代は男性が設定した文化ゲームだった


男性の祖先が父性に目覚めてくれたおかげで、今のようにモノを考えられる自分がいて便利な世の中があるのならありがとう‼︎と言いたいです。

ただし、
男性が作り男性目線で構成されているゲームなのだから、男性の方が優位にプレイし易かったに決まっています。
男性が社会の中心になっていたのも頷けますね。

近代になって女性の社会進出が進んでいるのは、やっと女性も男性が好んだゲームの操作方法に慣れてきて、かつ自分たちも構成に関わり新しいシステムを組み込もうとし始めているからかもしれませんね。


今の日本では、結婚やまして父になるだなんて、考えらない関心がないという男性もたくさんいるのではないでしょうか。
女性だって、かつての父文明で求められていたような「女らしさ」なんてまっぴらごめんだと思っていませんか。私は思ってます(^^)

ルールは変わろうとしているのは明白です。

なのに、男女はこうあるべきだ!というイメージはまだ根強い。

逆に強い反発から精神的に男らしくなりすぎた女性の上司や草食系男子なんてのも、もしかしたら「〜であるべき!」という強迫観念の反動?なんて思ったりします。

これが自然体だってご本人たちは言うかもしれませんけど、両親や祖父祖母の影響を全く受けずに育つわけにはいきません。
義務教育の過程でもそうです。

身近な人がゴリゴリの「〜あるべき!」主義者だったら…正直私はもうその考え方は今の時代に向いてないと思います。

でも、影響されていた事を自覚できれば、そこから自分に柔軟性を求める事もできます。

子供の頃は親の意見は絶対だと思っていても、やがてそれだけではないことを知るように、意識の枠自体もこれから選択可能な形式のひとつに過ぎないのですね。







で、今までの話と情熱恋愛がどう絡むのか(笑)
私も長く書いてるうちにわかんなくなってきた…ww

そう、社会の仕組み同様、恋愛のカタチも今までの父文明が作ってきたルールでは不自由になっています。
ていうか、こうあるべきと決められてる恋愛はくそ面白くない。


既存のルールにとらわれず、自分と相手が楽しめる恋愛のカタチを貪欲に探そう!=情熱恋愛!
ということでいかがでしょうか?(笑)


私的にはこの本を読んで改めて、
文明も恋愛も、生物としてはただのオマケで、ゲームなのだなと思ったのです。でも決して冷めた意味ではなく。

子供の頃何のために生きてるのかなんて考えたけれど、生物としてなら理由なんていらなかった。
でも人間として生まれたなら、楽しむために生きたいかなって、思いました。
楽しむためにもしたい。


苦労も悲しみも、その後の楽しみのスパイスに変えて、
でも本当にイヤになるほど死ぬほどの辛いことからは「逃げる」を選択したっていいんですよ、ゲームなんだから、それだって戦略ですよ。
最後に、あー楽しかった!いいゲームだった!で終われたらいいんですよ。
もっと肩の力を抜いてふんわりと生きたいなと思いました。


(前略)間違ってもらいたくないのは、ゲームという言葉は決して軽いものではないということなのだ。文化そのものが、ある規則をともなったゲームである。そして、そうであることを熟知しつつ真剣にプレーしてこそ、私たちはただの生き物ではない、人間という生き物になりうるのである。

楽しくフェアプレーでいきましょう!




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