素直になろうぶろぐ

気持ちを素直に正直に、思いつくまま自由に書いちゃう自分だけ楽しいブログです(笑) ジャンルもごちゃまぜ

またいつか会えるっていう魔法の言葉



前回は低めのテンションに任せて病気やらについて呟きました。

でも、ちょっと真剣に考えてみる。






昨日、友達のお父さんが亡くなったと連絡がありました。

その友達は高校時代からの親友で、私が関東にいる為に面と向かっては最近話していないのですが、LINEはしょっちゅうしていました。
1日に往復するかどうかくらいの緩い近況報告みたいな。

お父さんのことは随分前から聞いていて、入院されたこともあまり良い状態じゃないことも聞きました。
それでも友達は気丈に振舞っていたから、なんだかまだまだ大丈夫なんじゃないかなと勝手に思ってしまっていましたが…。





私は冷たい人間かもしれないけれど、正直そんなに悲しくはありません。
お会いしたこともないから、なんとも実感が沸かないです。

ただ友達の心情を思うと苦しくはなります。
私には何も出来ないけれど、少しでも彼女の気持ちに寄り添えたら。




そして、自分の父や母に置き換えて想像をすると、やはり耐えられない気持ちがします。


自分が死ぬのは怖くないと思います。
死に至る過程が怖いだけです。痛かったら嫌だな、苦しかったら嫌だなって。
でもそれだけ。

誰かに死なれるのはとても怖いです。
どうしてだろうと考えると、
もう2度と会えないからかな。

想像すると、想像するだけで

寂しいですね。








誰しも子供の頃には死後の世界を想像するのではないでしょうか。

天国だとか地獄だとか、
輪廻転生、もしくは何もない無であるとか、説も色々ありますし。


生きながらにして死後の世界に行ける人はいないのだから、私は自分の好きな想像をすればいいと思う!

近年私の中で夢に溢れてると思える死後のイメージは、
いくつもの世界があって、今のこの世界で死んでしまったら次は別の世界で生まれ、そしてまた人生を全うしたらまた別の世界で生まれてを繰り返すパラレル。


もしくは2つの平行世界でもいいかな。
早過ぎた死で惜しまれた人はもしかしたらもう一方の世界にやり残したことがあったからで、そちらの世界で早く転生出来て良いことがあったかもしれない。

なんてね。


不謹慎かな?
でも結局は生きている人間が都合良く、自分に救いがあるように考えればいいと思うのです。

とりあえず生きてるうちは死んでしまった人には会えないから、寂しさを紛らわして何が悪い。


だからって追いかけたりしてはだめですよ。
それも結局は残された生きてる人間が悲しくて寂しいからやめて欲しいという理由なんですけどね。

ご本人は満足だったりするのかな。
でも自ら死ぬのってやっぱりその瞬間はかなり辛いし苦しいと思うんだ、うん。
絶対望んでやるもんじゃない気がします、後悔すると思います。

ヤメテネ(・ω・`人)



悲しんで悲しんで悲しんだら、
紛らわして誤魔化して、なんでもいいからどんな風に根拠のない想像でもしていいから、

友達の気持ちが早く救われたらいいなと思いました。
そうやって、今生きている友達のことの方を考えてしまう私でした。







今のこの瞬間にも、世界のどこかで常に命は消えてる、なんて。
厨二的なフレーズでもこれは事実なんでしょう。


どうかそんな命たちが少しでも安らかに眠れますように。
寂しくなりませんように。




(*´・ω・)(・ω・`*)