今この時の私の答え
地元を離れてひとり暮らしを始めてから、多少視野が広まったと思っていました。
そしてたまに地元に戻ってきて、そこに住んだままの友人に会ったときに
この子の意見って偏ってるな〜
自分の中の常識に固執してるな〜
みたいな事を思ったものです。
そして私の中で勝手にパターンを作っていました。
①生まれてこの方地元以外に移り住んだことがない
②独り暮らしをしたことがない、していたとしてもいつでも実家に帰れる距離である
③実家が祖父母の代から場所が変わっておらず、その土地の古株の一族である
こんな感じで物凄く浅い考えですけれど(笑)
これに当てはまる人は、(親や親族や周りの影響もあって)自分の中だけの常識を疑わない人なんだ、柔軟性に欠けてる人なんだ。
やっぱり狭い世界で生きてるとダメだな〜、なんて、
自分も大して広い世界を見たわけでもないのに傲慢な考えを持っている時期がありました(笑)
歳を重ねてそこまで思うことはなくなったけれど、
自分の中にも、固執したなにかがいることに気付いたのはつい最近だったりします。
自分は差別や偏見はあまりない方だと思っていました。
それこそが思い込みだったのかもしれないですね。
コミュニティの中で生まれる暗黙のルール。
それはそこに住んでいる人たちが利益を得やすかったり、生きやすいように出来ているのでしょう。
でもそれが『正解』なのかはわからない。
他所からやって来た第3者から見れば、それは利益を独占するものだったり、小さな歪みを見逃しているものかもしれません。
長く留まれば留まるほどに、当人達には見えなくなっていくものがある。
それはなんとなーくご近所騒動なんかで聞く話だと思っていたのですが、自分の身近にも存在していました。
バイト先。
新しく配属された社員さん。
それまでのやり方とは違う新しい意見をバンバン言ってくる人でした。
テリトリーが侵されたような気持ち。
今まで見て見ぬ振りをしていた問題が浮き彫りにされ、腹が立つこともありました。
(っていうか問題があったことを自覚するのが苛立ったとも言う)
後から来たやつがエラソーぶるなよ。
今までこれで上手くやって来たのに文句つけるなよ。
胸のうちでそんな気持ちが湧いたことを、客観的に見た自分がビックリしていました。
私いつの間にこんなに凝り固まっていたんだろう。
その人も、全てを新しくしようだなんて思ってはいないんです。
残したい良い所はそのままに、第3者視点からみた問題を改善したいという向上心のある人でした。
新参者として言いにくい立場なのに、あえて嫌な役をやってくれたんだなと、今はとても尊敬しています。
イライラしやすいのがたまに傷の、取っつきにくいけど見てて面白い人ですw
郷に入っては郷に従え、なんて言いますが、本当にそれだけでいいのかな?
私が郷に入る立場だったら、おかしいなと思うことがあった時に言葉に出来るでしょうか?
……出来ないな。
せめて受け入れる側だったならば、
新しい風が吹いて来たときに、きちんと耳を傾けられる人間になりたいな。
自分がいつの間にか忘れてしまったこと、してきた事に問題が隠れていたこと、それらを認めたくなくても、認めて、新しくしていく努力をしたいな。
そして、
人は変わるんだということも、私は知りました。
かつて持った苦手意識から、ずっと現在の姿に向き合わずに、苦手だと思い続けていた人。
でもやっと現在の彼女の話を素直に聞けたら、なんとも尊敬できる点が多々あるではないか(笑)
ほんとごめん(笑)
私が変わりたいと思うように、みんなも変わりたいと願うんだ。
そして日々変わっていることを私は知りました。
当たり前の事なんですけど、こんなに実感したのは初めてでした。
長いこと会っていなかったからかなぁ。
私は決めつけてしまうことがよくあります。
その時その時を判断する為に決めることも大切だから、悪い事とは思いません。
ただ、過去の決定に自分で縛られるのは嫌だなぁと思いました。
前に決めたことを覆せないから間違っていたとわかっても貫くしかないなんて、残念な政治みたい(笑)
年末の池上彰さんの番組でやってましたけどw
間違ったら認める勇気を持ちたい。
謝れる勇気を持ちたい。
まだまだ私は狭い視野で物事を見ているようです。
何かを思う時、たまにふと客観的に自分を観察できると、自分の中にも新しい発見があることがなんだか不思議で面白いです。
新しい発見を素直に見つめていきたいです。
過去の私の答えに固執せずに、今の私の答えを探したいです。
(^ワ^)